玉石混淆などとはいうものの、心などというものが石のようなものでも玉のようなものでもない以上、たとえここでいうような玉のような存在があり得たとしても混淆という状態の中ではいつまでも存続することは不可能である。したがって、玉石混淆などということも実質的には有象無象の集まりとさして変わりはなく、そのこと自体から何かが生ずる、すなわち今後の期待し得る展開が見えてくることなどは決してない。
世の中には有象無象の集まりが多い、というよりほとんどが有象無象の集いであると言ってもよいだろう。例えば、演劇の集団なども言ってみれば「落伍者の群れ」そのものでもあるというのが大方の実態である。それはある意味では褒め過ぎでさえある。実際、彼らの中で演劇が自分にとって止むに止まれぬ必要不可欠なもので、ほんとうに慈しむ対象となっている者がどれだけいるかということになると99%が除外されるだろう。残る1%も有象無象の中で、ほとんどが一瞬のきらめきさえ認知されずに消えて行く場合が多い。
以前は、有象無象の中に身を置くのも演劇という「不純芸能」の仕方のない「業」と思っていたところもあるが、やはり有象無象はほんとうの有象無象でしかなかった。そこから何らかの「奇」なるものが浮かび上がるのではないかというある種の「幻想」も「幻想」以上のものではなく、今現在では、現実そのもの、事実そのものの方が演劇的営為など以上にいかに世界が「奇」で満ちているかを見せつけてくれることの方が多い。
2014 3/8
※このサイトに、たまたま縁あって記録の意味も含めて載せている方々は良質なものを持っていたことを一言付け加えておきます。。