この句はある方の年賀状に書かれてあった句であるが、思わず微笑んでしまった。それは共感し得ることに対する一瞬の確認のようなものであった思われる。この句は日中戦争の最中昭和14年、渡辺白泉26歳の時の句である。そして、翌年五月京都大学俳句事件に連座して白泉は検挙されている。俳人ですらというと語弊もあるが検挙された時代なのである。少なくとも沈黙するか幇間のごとくならない者はことごとく時代の統制ネットに引っかかった時代でもある。白泉のこの句は30年程前の私の古いノートにも書き留められていた。それがまた再び新鮮に甦ってくるとは何ともやるせないが、しかしこれ程味わい深い年賀状を戴いたのも久しぶりである。
反戦、社会風刺の俳句、すなわち新興俳句の騎手でもあった白泉には、同じ26歳の時の句に「憲兵の前で滑って転んじゃた」などというチャップリンの映像を彷彿させるようなものもある。チャップリンも同時代の独裁者ヒットラーをコケにした有名な「独裁者」(原題「The great dictator」)という映画を作っている。この映画の日本公開は1960年(米公開1940年)なので白泉はもちろんこの句を作った時点では映画の存在は知らなかったはずである。晩年、白泉がもしこの映画を観ていたらどう思ったであろう。
今、廊下の奥に立っている戦争の姿はより鮮明になってきている。独裁者は必ず民主主義を装い、青年に希望を、老人に保障を約束するが決して約束を守ることはない。自らの野心を満たし大衆を奴隷にするだけである。これは映画のラストでチャップリンが世界に向けて発したメッセージのひとくだりである。
2014 1/1