48.「良いお年」 くぐもりけりな 年の暮

 年の瀬の極普通の挨拶にしてもこれ程まで「良いお年を」が言い難いことはなかったように思う。「良いお年を」と言おうとすると口、唇で何か分解、溶解していくような感覚に襲われるのである。たとえ言い得たとしても発せられた同時に瞬時に言葉が凍てつき砕け散る。しかし、そんな風に感じるのはどうも私だけではなかったようだ。路上で携帯電話で話す若者も同様であった。「・・・年賀状でハッピーニューイヤでもねーし、今日だって誰も『いい年を』なんて言わねーしーな・・・」。そうなのである。この時期には街のあちこちから聞こえた「良いお年を」は確実に消えている。余程オメデタイか、特殊な人間以外は、実のところ誰も「良い年」などにはなりようがないと思っているのである。いくらお先棒をかつぐだけのメディアが煽り立てても認知症予備軍など以外はすでに来る年の悪しき兆しを感覚的に察知しているのである。

 「良いお年を」が口ごもるからといって、人里離れて住んでいるわけでもないので他人と会えば挨拶をしないわけにもいかない。今度言い淀んだら仕方がない「メー」と言うしかあるまい。そして、狼たちの執拗な攻撃を少しでも避けられるよう祈るだけである。

 

                                                                                                                                                             2014 年の暮れ

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