43.「現実世界」の奇々怪々

 「現実」というものがほんとうの意味で視野に入ってくると、すなわち現実世界が見えてくると敢えて他人が創りだす「虚構」などほとんど必要としなくなる。この「現実世界」の様相はミステリー、前衛劇などよりもはるかに奇々怪々として異様でもあり、奇異荒唐、奇怪千万でもある。それは「人間の境涯」から「ずれた」、またはすでにそこにはいない者たちの言動で織り成されているからでもある。「箱物」で、あるいは屋外で繰り広げられる「虚構」が原作が本来持っている照射範囲以上で迫ることもなく、むしろすべてがシュリンクする方向でしか見えてこないようなものに費やす時間はもはやない。また、どう観ても「サイコドラマ」以上のものではあり得ないような、それ以上展開不能なものに対しても今ではまったく無縁というより興味の対象外のものとなった。そうかと言って「商業演劇」(日本に特化したコンセプト)などというものも、虚飾に満ちた虚栄以外には成り立ちようがないほどの空疎な「箱物ショー」にはただただ「嘔吐」を催すだけである。

 今後考えられるとすれば、現実をきちんと見据えることができている人々が観客としてその場にいて成り立つような舞台であろうか。金にはなっても大衆に媚びたすなわち大衆蔑視の上に成り立つようなものに先はない。

 

                                                                                                                                                            2014 9/7

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