「ロス・ガジョス」はスペインの老舗のタブラオである。ある旅番組で「本場スペインのフラメンコ云々」と例によってお決まりの解説らしきものと同時に現れてきたのが「ロス・ガジョス」のフラメンコである。相変わらずと言うよりさらに質が落ちていると思われた。8年程前、「ロス・ガジョス」でフラメンコを観ることになってあまりのひどさに途中で出てきたことがある。その際、私といっしょにいたスペイン在住の日本人が私に気を使いすぎて「ロス・ガジョス」の責任者に「観ていられないから帰るという人がいる。半分しか観ていないのだから半分料金を返してくれ」とまで言ったのである。なかなか出てこない連れを外で待っている時に何度か顔を出して辺りの様子を窺っていたのがおそらくそこの「店長」であろう。テレビの映像を観ていてまたその時のことが細部にわたって思い出されてきた。ナレーションの内容も「炎のフラメンコ」、「情熱のフラメンコ」という程度の陳腐なステロタイプな内容、「魂」という言葉が一体何回遣われただろうかと思うが、その割に映像とはずれていて使い古された言葉だけが気恥ずかしくなるくらいに宙に浮いていた。一般のレベルというのはこの程度なのか思う反面、これではフラメンコへのアプローチの深化など求むべくもないと思われた。単なる貧弱な製作費の結果の映像であることを切に願うだけであるが、実際スペイン以上に日本においても教える側そのものが半可通な者が多いのでよくできて「観光フラメンコ」、それ以上のレベルのフラメンコに出遭うことは極めて稀である。中にはスペイン舞踊とフラメンコの違いすら明確でない者など、ただ蒙昧としか言いようのない者も多い。いわんや観る側の美意識レベルなどさらに限られてくる。どの世界でも本物に「出遭う」のは並大抵ではない。そして、出遭ったとしてもつかみ切れずに逃してしまうことの方が多く、一度逃したらもはや一期一会なのである。
「ロス・ガジョス」の質の低下についてはスペイン人自身もそう思っている節はあるが、当然であろう。「本場」、「発祥の地」などという言葉はそれが頻繁に遣われる時点でもはや「幻影」、形骸化されてしまっていることの方が多いものである。そして、それはその地で多く行われていたという程度に過ぎず、実のところ「原型」ともいえるものの厳密な特定はさらに難しくなる。
2014 8/14