31.モディリアーニ「論考」からクレムト「論考」へ

 12月29日、2013年も終わり2014年を迎えようとしている。忘年会、新年会などというものが無縁、無用のものとなってから久しい。おそらく私は12月のモディリアーニ「論考」からクレムト「論考」の中で新年を迎えるのではないかと思われる。語るに足らないわかり切った現状の問題などに時間を取られている暇はない。

 つい4,5年前まではユトリロのようにアルコールを切らしたことはなかったが、健康を害した訳でもないのに突然、まったく飲む気が起こらなくなってしまった。自分でも不思議なくらいである。限られた時間の中で酔生夢死だけは避けたいという思いも以前から強くあったが、今では飲むこと自体が時間の無駄という結論に至っている。ユトリロはアルコールを切らさなくても絵画で自己確認をすることができたが凡夫が飲み続けていては単なる愚者になるしか他に道はない。「特殊な日本時間」が流れる只中で愚者がこれ以上愚者化しても埒は一瞬たりとも明くまい。「取りついていたものが落ちたようだ」などと身近な者に言われたが、自己の中に「巣くっていたもの」を切って捨てるとはこういうことなのかと思う反面、自然に立ち去る時期に立ち去ったのかもしれないという思いもある。

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